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金沢音楽制作

金沢音楽制作では、楽曲・楽譜の制作と、作曲や写譜などレッスンを行っています。

雅号について

ここに書かれたことは、あまりよい内容じゃないし、気分も悪くなるかも知れない。そのため、隠しページのようにした。

長谷川落葉、という雅号について少しだけ説明する。この雅号は、ぼくの家系にまつわる呪いの終焉を願って考えたものだ(率直に言うなら、滅亡かも知れない)。くたばってしまえ、から雅号を考えた二葉亭四迷を、具体的かつ個人的にした感じだろうか。

ぼくの家系は、集団になると論理的な会話が不可能だった。どのような主題であれ、自分たちが他者よりも如何に優れた存在であるかを高説するのが、お決まりの結論だ。つまり、人生の要所においての意思決定に係る会話が成立しないのである。付け加えてると、個人個人との会話は比較的普通であったと思う。

この現象は、ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』に重なる。アーレントが、エルサレム裁判を通して見たアドルフ・アイヒマンは、非常に矮小な人間だったという。この矮小な人間が集団に属すると、一般に想起される冷酷無情な殺戮者アイヒマンとなるのだ。ここに全体主義の恐ろしさが表れている。

話を戻す。ぼくの家系は、全体主義かつ重度の自文化中心主義に陥ってた。幼少の頃から、家系が優秀であるという空疎な話を聞かされ続け、それに相当苦しめられた。たとえば、友達の家に泊まったり、みんなで集まって遊びにいく、といった普通の子供が経験するであろうイベントに参加したことがない。なぜならば、他の家はバカなので、関わることが許されない。これは、宿命付けられた呪いであった。

ちなみに、ぼくの家は優秀どころか、真逆で何の資産もない。子供の頃には風呂すらなく、今でも隙間風だらけの半バラックに住んでいる。当然、子供に対する理解もなく、おまけに片親ときた。そして、歴史ある町家だというが、本当は醤油屋の倉庫だったことをぼくは知っている。

ぼくは、現在35歳である。こんな年にもなってこんな文章を書いたのは、呪いを明確に意識するとともに、呪いと正面から向き合うことを決めたからだろう。落葉ともに新葉萌える。

2021-06-11