作曲・浄書・指導・音響

金沢音楽制作

金沢音楽制作では、楽曲・楽譜の制作と、作曲や写譜などレッスンを行っています。


159)デカダンではない廃墟

ぼくが廃墟マニアだったことを以前かいた(「デカダンな廃墟を超えて」)。その時、廃墟サイトの大半が消滅あるいは更新停止していた、とも書いた。これは確かに正しいのだが、一つ思い違いがあった。それは、廃墟サイトの停止が廃墟ブームの終焉を表している訳ではなかったことだ。今の廃墟マニアは、その活躍の場をYouTubeに移していたのだ。

廃墟マニアのインターネットにおける活動は、写真や文章を掲載した読み物から動画へとシフトした。だが、変わったのは表現方法だけではない。廃墟と廃墟探索に係る認識も大きく変わったように感じる。色々とあるのだが、三つに絞って書きたい。

まず、廃墟の楽しみ方が変わった(ように思える)。昔は、廃墟の朽ちる姿、つまり人工物と自然物のコントラストの美しさに主眼が置かれていた。しかし今では、廃墟に残された残留物やそこから推察できる家主に焦点が当てられている。プライバシーなんてあったもんじゃない(当時もだが)。ミステリーやアドベンチャー色がかなり強い。

ついで、廃墟の探し方が大きく変わっていた。有名な廃墟はテキスト検索すれば、その位置は分かるが、山中の廃村や住宅街にあるマイナー廃墟は検索ではたどり着けないだろう。そこで、なんとグーグルマップ(!)を使うのだ。さながら朝日放送の『ポツンと一軒家』である。YouTubeのタイトル風に言うと、「この廃墟に行ってみた!」となるのだろうか。

最後に、廃墟の定義もかなり広くなっている。廃墟というよりも、それただの空き家でしょ、という物件も多くあるからだ。なぜ空き家に入るかと言えば、そちらの方が残留物が多いからだろう。ちなみに、築浅の物件が廃墟か否を判断する指標は、配線や金属が盗難されているかどうかだそうだ。

昔は、廃墟の写真と文章、という結果を見るだけだから分からなかったが、動画で見ると、改めて廃墟探索が命がけであることが分かる。たとえば、手こぎボートでダム湖の対岸の崖上にある廃墟に向かったり、一切道がない山奥にある廃村に向かう、などだ。マイナーな廃墟で死んだ日には発見すらされないだろう。ぼくにできるのは、配信者が無事であることを祈るだけである。

2021-03-21