作曲・浄書・指導・音響

金沢音楽制作

金沢音楽制作では、楽曲・楽譜の制作と、作曲や写譜などレッスンを行っています。


153)取り込まれた背景

最近の漫画を見ていて、効果のない写真取り込み背景をみると、なんだかなあ、感じる。写真取り込みの背景は、統一感がなく手抜きっぽいし、何よりもごちゃごちゃしていて見苦しい。別に水木しげるや矢口高雄レベルの背景を求めたり、いたずらに描き込めばよい、などとは思ってない。それに写真取り込みが効果的な場面もあるだろう。つまり、それが表現として成立するか(必要なのか)、だ。

かつてジャンプで連載されていた久保帯人の『BLEACH』(2001-06年)という作品がある(読んだことはない)。ネットで、ある大ゴマのワンシーンが提示されて、背景が真っ白で手抜きだ、と揶揄されていた。この指摘は、マンガに背景は存在するものだ、という前提に立っていることを表している(という立場を装って、背景は不要だ、という主張の可能性もある)。もし、この意見が一般論だとすれば(多分違う)、コマに背景がないよりは、写真取り込みでも背景はあった方がよいのかもしれない。

写真取り込み(だと思うのだが)を効果的に使っている作家として藤子不二雄Aがいる。『ブラックユーモア短編集』シリーズに見られ、大胆な白黒に塗り分けられた(2値化された)写真が使われたコマは、読者の注意を惹く。そこで登場する人物たちも背景に馴染むように写実的だが、どこかユーモアのあるタッチで描かれている。それは、現実は違う不気味な別世界を、あるいは虚構の中に唐突な現実を予感させるものだ。

子供の頃は、作中に描かれた背景や鳥瞰図、またセリフなどから地理的な位置関係を考えてワクワクしていた(今にして思えば、テクスト理論か)。あるいは、雄大に描かれた風景を細部まで眺めていた。そこに整合性や写実性がなくともだ。写真取り込みの背景では、そのような「読み」の愉しさはないだろう。ところで、最近の、という切り出しをするあたり、自分も年とったんだな、とひしひしと感じた。

2021-02-01