作曲・浄書・指導・音響

金沢音楽制作

金沢音楽制作では、楽曲・楽譜の制作と、作曲や写譜などレッスンを行っています。


[前]〈記事一覧〉[次]

141)郷に入っては郷に従え?

身近なことで少し思うことがあったので、ここに備忘録として記す。

「おじさんLINE」という言葉を知った。これは、LINEに限らずSNSにおいて、おじさんが主として若い女性に、自分のことを一方的に語ったり、すぐに会おうよ、などというメッセージを大量の絵文字を添えて送ることらしい。なるほど、このようにコミュニケーションの成り立っていないやりとりは、決して珍しいことではない。ぼくの周りでも、キャバ嬢の営業メールに返信でもしているかのような光景を、あまり前のように見ることができる。

しかし、おじさんは(おじさんと一般化するのはどうかと思うが、以下おじさんとする)、なぜそのような文章を送ってしまうのだろうか。その原因に、インターネット(というよりもSNS)との関わり方による認識の違いが考えられる。

思うに、変な文章を軽率に送ってしまうおじさんは、自分の文章が他人が見てどう思うかなど一切考えていないのではないか。それはまるで、SNSを1対1の秘匿性の高いメールの延長線上のものだとでも思っているようである。たとえば、ぼくはSNSを1対多あるいは多対多の公開されたフォーラム(たとえば掲示板)の延長線上と位置づけている(おそらく、SNSをまともに(ぼくが思う)運用している人は概ねこのような認識ではないだろうか)。両者を比較すると、閉じられた/開かれた空間、他者の不在/存在と、認識に大きな溝があるのだ。この溝がある限り、おじさんは自分本位なメッセージを送り続けるのだ。

前述したように、ぼくはSNSをフォーラムの延長線上に位置づけている。だが、SNSにはフォーラムと決定的に異なっている点がある。それは、SNSが私たちの日々の営みと強く結びついていることである。

たとえば、SNSを通してある人の職業や収入といったものだけではなく、活動エリアや行動パターン、そして実名や家族構成まで知り得ることは難しくはない。なにが言いたいかというと、SNSへの投稿からストーカーといった犯罪に巻き込まれてしまうリスクがある、ということである(当然、女性がその対象になることが殆どだろう)。そんなやついるのか、と思うかもしれないが、当然のように存在しておりかつ当人には自覚がないから困ったものである。

子供の頃からインターネットが当たり前だった世代は、ネット炎上やネットいじめなどが身近だった分、ぼくなんかよりも自衛ができているだろう。だが、それでも全てを守りきることは難しい。

閑話休題。さて、記事の表題は、「郷に入っては郷に従え?」である。この慣用句は、SNSにも同じことが言えるだろうが、勘違いしてはいけない。決して、明文化されていない規則とおじさんを対照させ、認識に相違があるからといっておじさんを排除したり、教育するといったことではない。それは、多数が小数を抑圧し、関係性に亀裂を生みだす憎しみの原因となるものだ。解決法ではないが最善策は、お互いがお互いの価値感(認識)を認め、その上で関わらないことである。

などと書いたのだが、一方的に逆恨みされる可能性があるので難しい。目下悩みの種である。マルクス・ガブリエルがいうよう、インターネットを免許性にすべきなのだろうか。しかし、それは国や企業が言論を制限する、ということでもある。

2020-11-12


[前]〈記事一覧〉[次]