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金沢音楽制作

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70)不登校とネット炎上

ゆたぼんくん、という10歳のYouTuberがいる。僕はYouTuberというものを全く見ないので知らなかったが、そこそこ有名なようである。というのは、自身が不登校であることを公言している珍しいYouTuberだからだ。ゆたぼんくんは、「不登校は不幸じゃない!」をキーワードに活動しており、その最終的な目標として、不登校の子どもたちを救いたい、という気持ちを掲げている。そして今、そんなゆたぼんくんがネット炎上(ネットリンチ)に陥っている。

ゆたぼんくんに対する世評はかなり厳しいようだ。特にネット民からは「学校にいかないと教養が付かない」「父親に商売道具として操作されたロボットだ」などと執拗に叩かれている。だが、僕は不登校が恥とは思わないし、考えを持って行動しているのは立派だと思う。逃げることは全く悪いことではない。逃げることの否定は全体主義思想そのものであるからだ。

ゆたぼんくんが不登校に至った理由は、教師から与えられた宿題を拒否したときに、休み時間や放課後に居残りで勉強を強要されたからだそうだ。また、そんな教師のいうことを無条件で受け入れることはロボットと同じではないのか、という疑問を抱いたとのことである(『琉球新報』2019年5月5日)。つまり、勉強そのものが嫌というよりも、教師の言うことに無条件で従うことに問題がある、といっているのだ。

これに対しネット民は、面白くないのかゆたぼんくんに見当違いの批判を展開している。連中は、いじめといった暴力による不登校は認めるが、宿題といった教師による強制的指導による不登校は認めない、というものがほとんどであった。これは目に見えるものだけが〈暴力〉である、と決めつけているからだろう。また、不登校にも関わらずYouTuberとして活動しているゆたぼんくんは親のロボットである、ともいう。しかし、登校を当然とする一方で、不登校であれば不登校児らしく振る舞えと、その振る舞いを強要・強制(つまり命令)することは、制度の中に隠蔽された暴力(象徴的暴力)であり、かつその対象をロボットと見ているということではないのか。これは、戦時中に掲げられた標語「一億総火の玉」と全く同じことである。

さて、まとめサイトでは、ゆたぼんくんの本名や経歴、家族・交友関係などを、面白おかしく編集した記事を公開することで、ネット炎上にうちくべている(つまりはアフィリエイトのために)。たとえば、父親が元暴走族であり、現在は夫婦でゆたぼんを洗脳(ロボット化)して小遣い稼ぎに利用している詐欺師である。キングコングの西野亮廣の信者である(宗教は絶対的な悪なのだろう)、ゆたぼんくんは発達障害者であるなど、ゴシップとしか呼べない酷いものばかりである。また、Twitterでは通報によってゆたぼんくんのアカウントが停止させられた(これは年齢に関する規約違反だそうだ)。それに伴いゆたぼんくんのなりすましアカウントが大量につくられ、彼を貶めるようなツイートが平然と行われている。こんな連中のどこに〈教養〉があるというのだろうか(〈教養〉という言葉は、「教養がない」という文脈でのみ機能する)。

このようなネット炎上は、ゆたぼんくんに限らずもはや見慣れた光景といっていいだろう。だが、それは社会に受け入れられたことを意味する訳ではない。嬉々としてネットリンチに参加している連中の品性や知性を強く疑うべきなのだ。そして、それらを単純化させて〈ネット炎上〉という事象に押し込むことが許されるのであれば、日本がいかに全体主義・絶対主義に陥っているかを示している他ならないだろう。ゆたぼんくんは、そんな目に見える/見えない暴力と戦っているのだ。むろん国家のロボットにならないためにである。ゆたぼんくんには、世評に負けないで自分の思う道を進んでほしいと願っている。

この記事を書いている時に、村上隆則による東浩紀へのインタビュー記事「「ネットは世の中変えないどころか、むしろ悪くしている」批評家・東浩紀が振り返る ネットコミュニティの10年」(2019/05/28)が偶然目についた。表題通りなので詳細はリンクを参照してほしい。以前は僕もインターネットは一方向的な従来のマスコミとは違った、双方向の新しく可能性に満ち溢れたメディアだと信じていた。しかし、実際は検索することが考えることだと錯覚した連中や、まとめサイトやSNSが従来のマスコミと同じ機能を果たしていることに気が付かない連中ばかりである。「不寛容に対しどれだけ寛容であるべきか」というジレンマ的な問いの答えを探す必要はない、他者に対して思いやりを持つことが大切なのである。

2019/05/28


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