作曲・浄書・指導・音響

金沢音楽制作

金沢音楽制作では、楽曲・楽譜の制作と、作曲や写譜などレッスンを行っています。


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41)信仰なき巡礼者

岡本亮輔『聖地巡礼』(2015)を読みました。当書は、本物らしさを表す「真正性(authenticity)」をキーワードに巡礼や観光について論じたものですが、その中で〈信仰なき巡礼者〉という概念が提示されています。これで喚び起こされたのが、芸術祭でした(また)。

〈信仰なき巡礼者〉とは、カトリックや仏教徒など、特定宗教の信者でないにも関わらず、巡礼を行う者たちを指しています(74頁)。例えば、サンティアゴ大聖堂の聖遺物を前に祈ったり、お遍路において寺院で参拝することを旅の目的としていない旅です。それは、道中での出会いや別れといったコミュニケーションやスタンプ(御朱印)など、副次的な経験や体験を重視し、そこに高い価値を見いだすものです。すなわち、目的と過程が転倒した状態だといえます。また〈信仰なき巡礼者〉は、自身がそれに適合するように振る舞い、他者にもその振る舞いを要求するといいます(89頁)。

ここで〈信仰なき巡礼者〉と〈芸術祭〉を対照させてみると、その振る舞いは相似的です。なぜなら、芸術祭もボランティアを通したコミュニケーションやスタンプの収集といった、作品の鑑賞/批評ではなく、経験や体験に主眼が置かれているためです。そして、ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)の特性上、〈信仰「ある」巡礼者〉(つまり作品鑑賞が目的の者たち)にもその態度(コミュニケーションへの参加)を要求します。

問題は信仰の有無により生じる巡礼(参加)の温度差です。この温度差(主眼の相違)は決定的で、共に芸術祭で行動することは経験的に困難です。何れにせよ、その対立を解消するのは容易ではないと思います。まぁ、自分が二度と参加しなければ良いだけ話ですね。なお、一方が正義である、という話では無いことを付け加えておきます。

2018/09/26


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