作曲・浄書・指導・音響

金沢音楽制作

金沢音楽制作では、楽曲・楽譜の制作と、作曲や写譜などレッスンを行っています。


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37)奥能登国際芸術祭の感想(補)

奥能登国際芸術祭の、とある作品に携わった作家と、運営・サポーター有志による20人強のオフ会に誘われたので、珠洲市まで行ってきました。メンバーと面識がないので全員と話すことは無理でしたが、数名と芸術祭について話しました。それで分かったことが三つあります(あくまでも当オフ会においてです)。

一つ目は、サポーターはアートが好き/興味がある、というよりも、もっとフランクで、お祭りに近い雰囲気を享受していたことです。芸術祭そのもののや、作品についての深い話は特にでませんでした。話題の中心は、作品をみんなで作り挙げたときの話といった、皆で共有している体験談です。つまり、作者の意図や作品の解釈といった批評はさほど重要ではなく、コミュニティの中で培った共通の経験が重要であることです。例えば、サポーターの中には当該の作品を殆ど知らない人もいましたが、共通の経験を有しているので全く問題はなさそうでした。一方で、共通の経験を持たない僕はどこまでいっても外部の人間(=作品の批評が不可能、例えばテクスト理論で作品を見てもどうしようもない)です。

二つ目は、コミュニティの場において、同調圧力がとても強く働くことです。僕たちには、作家の手伝いをするのが当たり前である、という媚びへつらったような、情けない空気がありました。また、みんなの話を聞いていると、当芸術祭に会社や役場から強制的に参加(主観です)させられた人もいました。しかし、本人はそれを受け入れており、表面上は疑問を持っているように見えませんでした。ちなみに、僕にも数年後に開催されるであろう、第二回奥能登芸術祭のサポーターをやってくれと多くの人に言われました(人が足りないという理由であれば、雇用すべきです)。

三つ目は、コミュニティの中で金沢市から来た人は、自分を含めて三名だったことです(実質二名)。作家を除くと、珠洲市在住の運営とサポーターが大半です。これはかなり深刻な結果だったと思います(そう思っていないでしょうが)。もちろん、広く募集していた訳ではないので限界はあると思います。

さて、当オフ会にて、芸術感や作品の話題が挙がらなかったことや、有志による集まりに外部の人間が殆ど来なかったというのは、奥能登国際芸術祭から約一年後に出た、答えの一つだと思います。今回の体験で僕は、「アートは地域を豊かにできるのか」という疑問から、「そもそもアートにそんな力はあるのだろうか」という問題にまで落ちてしまった気がします。芸術祭に関しては、まだ色々と書いたり補足したりできそうですが、こんなことばっか書いていても仕方ないので、一旦ここで筆を置くことにします。もっと詳しく知りたい人は前回の記事で紹介した藤田直哉『地域アート――美学/制度/日本』(堀之内出版、2016年)をご参照ください。

蛇足:そういえば、僕も若い頃(?)にとある芸術祭に参加したことがあります。と、いってもインスタレーション作品に劇伴をつけただけです。その芸術祭は気がついたら終わっていたので、どのようなものだったのかは全く分かりませんが……(動画は貰った記憶があるので、見つかればこっそりアップします。)

2018/07/31


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