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金沢音楽制作

金沢音楽制作では、楽曲・楽譜の制作と、作曲や写譜などレッスンを行っています。


36)奥能登国際芸術祭の感想(3)

内在化された検閲が生まれる理由は、地域アートの目的にあります。地域アートの目的をはっきり言えば、「特定地域の宣伝・活性化」です。それは、奥能登の魅力をフォーカスした作品群から伺うことができます。だとすれば、奥能登が持つ諸問題(漂着ゴミ、限界集落、密入国など)を前景化したような作品を作ることは困難だと思います。なぜならば、そのような作品を、地域住民やサポーター、そして北川フラムが歓迎するとは考えづらいからです。したがって、作家は関係者の反応を予め予測して、作品を制作する必要がでてきます。これこそが内在化された検閲です。

また、そのような目的を規定するものとして、地域振興基金といった数億円規模の税金の投入があります。税金を使ってアートを作り、税金を使って芸術祭を開催する、その意味を一度考える必要があると思います。

さて、内在化された検閲は、作者から表現の自由を奪うだけではなく、アートに誤った印象を与える可能性もあります。例えば、「地域活性化するものがアートである」というものです。逆にいうと、「地域活性化しないものはアートではない」ともいえます。実際そのように思われるかは分かりませんが、十分ありえる話だと思います(作品の完成が目的ではないリレーショナル・アートにおいては特に)。

いずれにせよ、地域アートは税金が投入される非常にポリティカルなイベントだということです。アーティスト/サポーターは利用・搾取され、アートが消費され続けているのは間違ありません。どうにかした方が良いと思いますが、残念ながら何も案が思いつきません。しかし、そのヒント(の一つ)として作家の鴻池朋子が参考になりそうです。

参加アーティストの中には、北川フラムの地域アートに反抗していると思われる作家が少数ながらいました。鴻池朋子『陸にあがる』は、異型の生物の立体造形物を、岬の先端の崖の上と海岸線沿いにそれぞれ配置したものです。岬の先端に行くには整備されていない険しい山道を20分程度登ります。海岸線に行くには漂流物が溜まった海岸沿いを10分程度歩きます。すなわち、鴻池は、奥能登の自然の厳しさや、生活や地理的要因から生まれた負の側面を、フレーミングに内包させたのだと思います。鴻池は地域アートが持つ、従来の目的や規定から、再帰的に新たな規定を作ろうとしているように感じました。(もし、これが単なるポーズだったらもう分からないですね。)

思ったよりも長い文章になってしまいました。これで、奥能登国際芸術の感想は終わりですが、補足として後一回だけ記事を書きます。また、暫く経った後に読み返して、文章や論理のねじれが少ないようだったら、記事を修正してコラムにしようと思います。

感想を書いている途中で、藤田直哉『地域アート――美学/制度/日本』(堀之内出版、2016年)という本を知りました。地域アートに関する論考や対談が載っており、その歴史や日本における文脈を知ることができます。地域アートに興味がある人は読んでみて損はないと思います。

(補)につづく

2018-07-30