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金沢音楽制作

金沢音楽制作では、楽曲・楽譜の制作と、作曲や写譜などレッスンを行っています。


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28)シェアリング・エコノミー

結論からいうと、シェアリング・エコノミーは結局の所、新自由主義(ネオリベラリズム)を推し進めているだけではないだろうか、と感じました。なぜそう思ったのかをみていきます。

シェアリング・エコノミー(共同経済)――この言葉は、小川仁志『哲学の最新キーワードを記述読む――「私」と社会をつなぐ知』(講談社現代新書、2018年)という本で知ったものです。当書は、私と社会をつなぐ――変革する――媒体として「多項知」という概念をもって公共哲学を提唱するものです。ここでいう多項知とは、感情の知、モノの知、テクノロジーの知、共同性の知、の四つの知を指しています。

シェアリング・エコノミーとは、資本主義ではなく、しかし社会主義でもない、国家の枠組みを超えた超えた第三の経済システムであると説明されています(177頁)。それは、Peer to Peer(P2P)、Consumer to Consumer(C2C)といった、一般人が一般人を対象としたサービスで、かつインターネットをインフラとして展開するところに特徴があります。例えば、空いた時間に自家用車で他人を目的地まで載せるライドシェア、空いた部屋に観光客が宿泊できる民泊、業務とは別にWebページを作成するクリエイターなどです。小川は、このシェアリング・エコノミーのメリットについて次のように述べています。

つまり、これまで使っていなかった資本や労働力が使われることで影響を増し、新たな消費体験が生まれ、小規模でも効率よく生産できるようになり、持たざる者も富を生み出す側に回れるということだ。

一言でいうと、シェアリング・エコノミーによって富を生み出すパイを増やすことができるわけである。しかも、それが一部の富裕な者によってのみなされるのではなく、多くの持たざる者によって実現するというのがポイントだ。ここが単なる資本主義とは異なる部分だといっていいだろう。(173頁)

また、「シェアリング・エコノミーが経済にプラスの影響を与えているのは間違いない」(172頁)とも述べていますが、その根拠となるデータは見当たりませんでした。どうも小川は、シェアリング・エコノミーをメタナラティブ的な理論として語っているようですが、多くの問題点があると思います。(この章に関していえば、いくらなんでも楽観的すぎるのでは、というのが率直な感想です。)

問題点として次のような事が考えられます。①本当にP2Pなのか。間にヤフオクやメルカリ、ランサーズ、クラウドワークス、FC2、DLSiteなど、実際には法人が媒体となっており、P2Pを行う度に搾取されているのではないか――それは資本主義に内包された活動ではないのか(No Capitalism No P2P)。②取引相手が個人か法人かというのは、さして重要ではないのではないか。③労働者としての地位/権利が喪失するのではないのか。④国家の枠組みを超えるには、ビジネスレベルの英語が必須ではないか。

まず①は、誰でも無償で自由に利用できる「オープンアクセス」が要請される。これは一体誰がやるのか(個人が大規模サーバーを運営するのは不可能だ)。次に②であるが、雑所得の税率は5%〜45%とかなり高い。最低でも、青色申告事業者(個人事業主)になる必要がでてくる。そして③だが、これは致命的だろう。労働者法や福利厚生を失った「請負」という名の実質社員が出て来る可能性が高いのではないか。そして、これこそが新自由主義ではないのか(派遣社員がもてはやされた(仕掛けられた)2003年頃の空気感を感じる)。最後に④だが、もう頑張るしかない。

こうしてみると、シェアリング・エコノミーを実現するには、単純に労働的技能が要求されるだけではなく、コンピュータや税金関係、英語などの知識や技能も要求されていることに気が付きます。ならば「情報」を扱う能力に長けた人だけが得をする(享受できる)システムではないかと考えるのが自然だと思います。それが、持たざる者に容易にできることなのかは疑問です。うまく煽動され、結局搾取される構図が見える気がします。

では、シェアリング・エコノミーを活用するにはどうすれば良いのか、と問われても大した答えは出せませんが、学習/教育コストを無くし、学習する土壌を育てることを提案します。そこで培う能力とは、従来の詰め込む知識ではなく、自ら学習する能力です。自ら学習する能力さえあれば、どうにかなります(多分)。

2018/05/06


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